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山納銀之輔

自然界に寄り添って生きろ!全てを失くしても大丈夫!世界は大きい!

014 スゥエーデンとドイツには絵葉書になる1500年前から建つ家があった 〜俺がお金を捨てたわけ

ちょっとさかのぼるんですけど、21世紀日本の構想の代表として、スウェーデンとドイツで建築の勉強をしたときに、しっくいの文化に触れたんです。何がすごいって、スウェーデンとかドイツの街並み写真採ったら、どこ撮っても絵はがきになること。どこを撮ってもすてきな景色。

 

 

 

日本の住宅街、写真撮って絵はがきにしたら何これ。ってなりますよね。海外行って帰ってくると日本の街並みはグレーで全然面白くなかった。

 

ドイツでは、ホームステイしている家で「この家ものすごくおしゃれですてきだけど。一体いつ建てたの」って聞いたんですね。「15世紀から建ってるよ」って。はあ壊れないんですねって。日本の常識おかしいなと思いました。

 

それで日本に帰ってこの景色とこの素材を広めようと思ってしっくいの研究を始めました。

 

そのときに造った家が『えほんの家のつくり方』あの本の家。子供の頃にワクワクしながら読んだ絵本に出てくるような家を広めようと思ったんです。ただの家の医者からの脱出したのはそのとき。27歳のとき。27歳でスウェーデンから帰ってきて初めて作った家があの家でした。

 

日本でこの家を広める。このおしゃれな感じ、そして長持ち。しかも、アレルギーも治っちゃって、風邪のウイルスも死ぬ、カビも生えなくて掃除もいらない家のつくり方。こんな最高なことないなって。で、それを広めようと思って研究しました。日本のしっくいを研究して3カ月ぐらいですっごくいいしっくいを作ったんですね。

 

そのしっくいで作った家なんですね。絵本の家は。

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それで、住宅ではなかなか広まらないから店舗づくりにしようと思って。店舗デザイナーとして1人でやり始めたんです。それが30歳でした。

 

つづく

ginnosukesanno.wixsite.com


 

013 陰陽師との出会い 〜俺がお金を捨てたわけ

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生きるために必要な物を全てそこで作りだして、大好きな人たちと笑顔で暮らせる村を作ろうと思って土地を探し始めたときに、ある人を紹介されたんです。

 

陰陽師でした。陰陽師ってなんだか映画みたいだけど本当にいるんだって思いました。

その陰陽師、俺の顔を見ると、突然言ったんです。

 

あなたが来るのをずっと待ってました。あなたが私の最後の仕事です。私は今日でこの仕事を辞めます。お待ちしてました。って。

 

その陰陽師もまた高田馬場のじぃちゃんと同じようなことを言いました。

あなたは100万人に1人の人。って。26歳のことも母ちゃんのことも全部当てて。それで、何か見えてるんです。空中に。俺はその頃ウェルシュ・コーギー・ペンブロークっていう尻尾切っちゃって耳がでっかい犬を飼ってたんです。その頃まだ小泉今日子と俺ぐらいしか飼ってなくて珍しかったんですね。その陰陽師が「3年ぐらい前に、犬かなぁ。何だろうなこれは。耳が大きい動物買いませんでした?」って。「あ、買いました」見えてるんですね。何かが。この人は高田の馬場のじぃちゃんと同じ種類の人だから、この人の言うことは信じようと思った。

 

その人が言うには「人間の細胞には、ナチュラルキラー細胞っていうのがあって、悪いガン細胞があったとしても、そのナチュラルキラー細胞が周りのガン細胞を良い細胞に変えちゃう」「人間界のあなたがそれなの」って言ったんです。「だからあなたは本来だったら私のように修行して、こういう職業をやるはずだったんだけど、違う運命を選んで生まれてきた。だからあなたが生まれてきたその運命の元でやっていくのよ。非常に珍しいけどあなたにとってはそれがこの時代の修行なんだろうね」って言うんですね。だからあなたは自分の業界で自分がやりたいようにそれをやっていきなさい。って。

 

でやっぱり「42歳のときにあんたは何か特別なものを手に入れる。55歳のときにもう安泰だから。65歳になったら大成功するよ」同じようなことを言った。「ちなみに95歳までは生きますよ」って。それ高田馬場のじぃちゃんにも言われた。95歳まで生きるって。だったら、俺は首つりを100回やっても死ねないんだって。95歳のときまで生きるしかない。生きようって。

それでやっぱりまた、人の何十倍も苦労するけど、あなたがやりたいことをやればみんなが幸せになるんだよって言う。俺はひとりぼっちでもうだめだって思ったけど、もしかしたらまだやれるって、二人の言葉を信じてまたやっていこうと思ったんです。よし、衣食住、全部つくれる村づくり始めようと。今は誰もいないけど、今度は本当の仲間を作ろうって。

 

そのとき、俺は30歳でした。

 

つづく

012 本当の友達を作ろう 〜俺がお金を捨てたわけ

6回首つりしても死ねなくて、どんなにつらくても生きるしかないんだって思いました。それで俺が本当に幸せを感じることはなんだろうって考えました。俺はやっぱり誰かが喜んでくれることが大好きなんです。家の医者を始めたのも誰かに喜んでもらえたからだった。でも、もうこんな孤独は終わりにしたかった。だから、これからは本当の友達を作ろうと思った。お金がなくってもつながりが切れない本当の友達を作るって。

 

 

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でもそれどうやって。って思ったときにまたサムエルが出てくるんです。サムエルはよく俺ん家に来てBBCニュースやCNNニュースを見てたんです。衛星放送で。そしたら全然日本のニュースと違うこと言ってるんです。日本では戦後最大の好景気ですなんて言ってるのに。日本は韓国に追い抜かれるでしょう。日本の借金は2兆円になりますとか。言ってる。あれ、何それ。聞き間違いじゃないの? 本当だよ。って、それをサムエルが全部説明してくれるんです。通訳して。あれ?日本のニュースって嘘つくことあるんだ。

 

それで俺たちコントロールされてる。ってわかっちゃったんですね。ニュースとか全然見ないから俺は。何にしろ小渕総理と会ったとき、どれが小渕総理か分かんなくて、メガネの人ですって教わって、どのメガネの人ですかって聞いて、あそこの奥のって言われて、それでも間違えて小渕総理の隣の人に挨拶しちゃったぐらいだから。新聞読めねえし。模様にしか見えないから、あんなの。

 

それでコントロールされていることを知って、そのときに日本円は紙切れになるかもしれないって気づいたんですね。急にお金が人生ゲームの紙切れに見えたんです。日本のコインには日本国って書いてあるのに、紙幣には日本銀行券って書いてあったの。券なのただの。俺をあんなに苦しめて、俺の周りの人間がいなくなった人生ゲームの券。ただのチラシと同じ紙切れに見えたんです。

 
その時のことを思い出したんです。

お金ってなんなんだって思いました。なんで金が必要なんだろうって。食っていくため。それならもし食物が溢れてたらって考えた。じゃあ家は。みんながローンを組んで家を建てているけど、じゃあ家も余る程あったり作るのが簡単だったらローンも組まなくていいよねっていう所に行きついたんですね。

 

だから、全部作っちゃおうと思ったんです。広い所でみんなで作れば、もし日本円が紙切れになったとしても何とかなるだろうって。どうせもう誰もいない。俺1人ぼっちだから今から仲間を集めて、友達をこれから作っていこうと。今度は本当の友達を作ろうと。その村で本当の幸せを手に入れようって。

 

全てが金だった20代で俺は人の裏切りを知った。金が全てじゃないこと、もっと大事なことがあるってことが分かった。だから俺の村は金が必要ない楽園にしようと思ったんです。衣食住、全部そこでまかなえて。生きるために必要な物は全てそにあって、俺が大好きな人たちと笑顔で暮らせる村を作ろうって思ったんです。

 

俺がそう思って土地探しを始めたときに、ある人を紹介されたんです。

 

つづく

011 6回の自殺未遂。だけど…死ねない! 〜俺がお金を捨てたわけ

それまでの仲良くしていたみんなに背を向けられて、そのとき完全に死のうと思って。首つりしたんです。

最初はヒモで。ヒモを太くしたりして。でも毎回切れちゃう。これは切れないだろうっていうヒモが切れちゃうんです。

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最後はタオルでやったの。そうしたらうまくいって、俺はやっと意識を失いました。6回目だった。

 

でも気が付いたら、あれまだ俺生きてるっていう状態。タオルがちぎれていました。6回やって死ねなかった。

 

もう分かった。人は寿命が決まっててそんときまでは絶対死ねないようになってるんだと思った。

 

6回チャレンジしたけど死ねなかった。もう生きてることがつらいけど、もう誰にも相手にされないけど、1人ぼっちだけど、頑張って生きていくしかねえんだって。

 

ものすごく辛かった。

 

俺には友達が一人もいないってわかった。俺はみんなのことが大好きだったけど、誰もそのときの俺のことを好きでいてくれなかった。

 

 

つづく

010 借金残り1300万の壁 〜俺がお金を捨てたわけ

6400万あった借金を残り1300万というところまで返済して、そこから一向に返せなくなったんです。

 

景気が本格的に冷えていた時代的な理由もあったと思うし、俺の経営が間違っていたのかもしれない。でも、どう頑張ってもだめだった。もう無理かもしれないと思いながらもなんとかなるなんとかしたいって頑張りました。毎日が支払いの心配に追われていて、電卓たたきながら従業員の家族の顔が浮かんでくる。毎日が苦しくて、週に1回の非常勤講師だけが楽しみでした。

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実は強制送還になったサムエルから、送還の半年後に電話かかってきたんですよ携帯に。「あ、サムだ。なんでサムエル日本にいるのか」本当は10年入国できないはずなんですよ。「どうやって入国したんだ」「大丈夫だ」日本語で。「宇都宮駅にこられるか」「行くよ」って言って、行ったらサムエルがいて。で「どうしたの」「また帰ってきて今度は東京の青砥でいう所で働くんだ」って言って。親戚でおばさんにあたる人がいるんだっていう。そこに行って日本の中古車をナイジェリアに輸出する仕事するんだって。「部品が高く売れるんだよ」って。「おまえどうやって入ってきたの」って言ったらまた違うパスポート持ってきた。新しいパスポート。

 

サムエルの底抜けのどんな不幸にも負けない笑顔見てたら、俺は何やってんだ毎日って。俺もサムエル見習って精一杯生きなくちゃだめだという思いが出てきた。でもそこからしばらくは抜け出せなかった。

 

俺が心を決めたのは3年間の非常勤講師が終わったときでした。会社を解散することに決めました。そのとき30歳でした。

もしこのまま70歳になっても俺は多分お墓に入るときにすっげえ後悔すると思った。一生に1回しかない人生これかって。

 

車も家も、実家も事務所も会社も、借金のかたになくなった。ゼロから出直しだって思いました。

 

会社解散するときに、従業員のことがどうしても引っかかってたから。全員いい会社に紹介して、ホンダとかみんないい会社にちゃんと入れるように手配して。それから解散しました。

 

自分の人生生きようと思ってのことだったんだけど、ここから俺の人生の本当のドン底になっちゃった。

 

会社を解散したとたん、今まで親切にしてくれてた人たちがいきなり冷たくなった、周りにいたほとんどの人がその時いなくなった。

 

ひとりぼっちになった。そのとき。

仲良く思ってた人たちが全員冷たくなって、それがあまりにも悲しくて俺の心はそのときズタズタになっちゃった。6400万持ち逃げされた時とは比べ物にならない程孤独だった。この時が俺の最初の人生のどん底。

 

金がないとかでかい借金があるとかよりも、一番つらかったのがひとりぼっちになったこと。

 

それまでは借金があってもまだちやほやされてて周りには人がいっぱいいた。でも、解散した瞬間から誰一人俺を応援してくれる人がいなくなった。俺に話しかけてくれる人もいないし、優しくしてくれる人もいない。周りに誰もいないんだ。

 

つづく

 

009 小中学校の校長をはじめ先生たちを変えてしまったパソコン非常勤教師〜俺がお金を捨てたわけ

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「日本人に生まれただけでラッキーだ」

「あらゆる職業につけてあらゆる教育が受けられる。のたれ死ぬことはまずない」

「なのになんで日本人はなんでやりたいことをやらないんだ。もったいないよ。」

 

俺はサムエルの言葉をどうしても今の子供達に伝えたくて学校の先生になりたいと思ってたんです。そしたらちょうどそのタイミングで小中学校の非常勤講師の募集が出てたんです。パソコンの授業は一般から先生を募集してたんです。これだ、やろうと。

 

最初の日は必ずサムエルの話。俺たちは日本人に生まれただけでラッキーなんだから。やりたいことはなんだってできる。なんでやりたいことが見つかんないのか。それは大人たちがそんなことやってもしょうがないとかいうからだ。そんなこと関係ないから、自分のやりたいことを決めてそれに向かえって。初日に必ず言うことにしたんです。

 

学校の先生ってどちらかというとレールに乗った人たちですよね。レールに乗った人たちが先生だからハメを外したりしないし、俺みたいな非常勤講師なんかに興味がないんですね。何きれいごと言ってんだみたいな感じです。最初はどこの学校に行っても職員室では相手にされませんでした。

 

講師に応募するとき、俺は決めたんですね。「学校に来ない子も絶対に授業に出す。保健室にいる子も、音楽室にいる子も、鉄棒にいる子も、授業に出す。全員出す。」って決めたんです。校長先生に「いいですか」って言って「いいですよもちろん」なんで誰もそれをやんねえんかなって思ってたんです。

 

俺の授業はいつも木曜の5時間目だったから、朝からずっと不登校の家をまわって迎えに行きました。

お母さんも一緒に授業に出ていいですって言って連れて来たんです。なんでそういうことしないかな学校はって思った。だけど俺の授業はやるから。って決めて、お母さんごと連れてきて授業に出したの。

他の授業はどうでもいいけど俺の授業は来いよって。

木曜日の5時間目だけは出てもらいました。

それで学校でちゃんとパソコンを教える、もちろん。そして5分くらいは俺が伝えたいことを話して、子供達の話も聞いて。5分ぐらいはいつも時間取ってました。

毎回必ず連れてくるわけ、必ず迎えに行って。そのうち迎えに行かなくても5時間目だけ来るんだよその子たち。それを11個の学校でやりました。

 

小学校と中学校を半年ごとに移動して3年半やりました。

 

それですごい反応があって、子どもたちはどんどんやりたいことが出てくる。自分から学校に来るようになるし、保健室にいる子も絶対に俺の授業は出るようになる。子供達に積極性が出てくる。引っ込んでいた子に限ってものすごいスピードで覚えたりするんですよね。そうすると、今度は先生が変わってくるんですね。子供達を見ている先生が変わってくる。

そのうち、校長先生が教室の一番後ろで、ちっちゃい机に座って俺の授業聞くようになる。

 

それで給食のときに先生達が机寄せてきて、俺の話聞くために集まってくるようになるんです。最初はなんだこいつから始まって。その学校に半年行き続けて3カ月ぐらいから職員室と校長が変わる。俺は大人も変われるんだって思いました。元は教育に対する情熱があって教師になった人も多いんですよ。だから変わる。

 

半年たって子どもたちがみんな手紙書いてくれるんです。僕はパン屋になりたいですとか、本屋になりたいです、看護婦さんなりたいです、と。小学校とか中学校で。それをみんな手紙で書いてくれるんです。たった半年しかいなかった俺に。

それで校長先生がぜひ、うちの息子バイトで使ってくれませんかって言ってくる。それがね、かなりの確率で言われるんですよ。びっくりしたのは大人たちが変われるっていうことでした。ちゃんとした教育学部に入って教育実習を受けて先生になるっていうことはレールの上を走らされていることになるのかもしれない。でも子どもたちの心をつかむっていうことはそれとは別のことなんですよね。それがちゃんと分かった。俺も先生達も。先生達の変化と言えば、各校に必ず2人ぐらい熱血教師がいるんですね。2人ぐらい。大体。

半年たってこの熱血教師が教師辞めますって言ってくる。自分のやりたいことやるっていうんです。

ずっとレールに乗っかってきたから今更辞められない。世間体もあるし。親もおまえはいい子に育って先生になって大したもんだみたいな。だからやりたいことはあるけど、もうこのまま先生として生きていこうっていう先生。その先生がまず教師辞めますって。

 

俺は子供を変えなくちゃって思って学校にきたけど、大人だってこんなに変われるんだって思ったんです。子どもよりもすげえなあと思った。たった半年で、レールからはみ出したことのない先生が、完全にはみ出しちゃってる俺の影響で変わったんです。たった半年です。

 

俺は「先生が辞めたらこの子たちはどうなるんですか。この学校には先生が必要だから、気持ちは分かるけど子供達の為にも残ってください」って。

 

それで、学校を移ってしばらくすると風のうわさが流れてくるんです。その先生がトライアスロン完走したぞって。

何人かの先生達がやりてぇこと何でもやるようになっちゃった。

 

高田馬場のじいちゃんが言ってたこと、俺がやりたいことやったら回りの人がみんな幸せになるって。それはこのことかなって感じました。

 

本当に学校の先生はやってよかったと思ってるんです。みんなが幸せになった。だから、これからの学校もたまに一般の人から先生を入れるっていうことをやったほうがいいですよね。

 

俺が思ったように、やりたいようにやったら、大人だって変わった。みんなが幸せになった。そのことで、俺は一つの決断をしたんです。

 

つづく

 

008 100均の英和辞典で交流。サッカー元ナイジェリア代表サムエル〜俺がお金を捨てたわけ

 

人生がつまんなくって死にたいって思いながらも、現場でお客さんに感謝されてたときのこと思い出して、大丈夫だなんとかなるって思って必死で電卓たたいてるとき、外国人労働者を雇用する話がきたんです。


日本人でさえ仕事ありませんっていう時代にサムエルっていうナイジェリア人は日本語が話せない。なのに日本で仕事を探してるっていう。面白そうだって思って採用しました。

 

サムエルは元W杯のサッカー選手だった。

でもケガをしてドクターストップがかかっちゃった。それで日本に仕事を探しに来てたんです。

 

サムエルに100円ショップの『ザ・英和辞典』を渡して、俺が『ザ・和英辞典』持って。二人で軽トラに乗って、俺も現場に出るようになったんです。

 

彼も日本でお金を稼ぐために一生懸命でしたし、俺も仕事させたくてしょうがないからお互いに必死です。だからすごい覚えましたお互い。

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半年程たった頃、英語にない言葉をサムエルが言い出したんです。「もったいない」って言い出した。「日本人はもったいない」って。

「なんでだ」っていったら「日本は生まれただけでラッキー。日本人に生まれただけでラッキーだ」「なんで」って。「あらゆる職業につけてあらゆる教育が受けられる。のたれ死ぬことはまずない」

 

ナイジェリアだったら仕事がない人が駅とかで寝てていつの間にか死んでるんですよね。日本には仕事がいっぱいあって、必要な教育はなんだって受けられるのに、日本人はなんでやりたいことをやらないんだ。もったいないよ。って。

 

「じゃあサムエルは勉強しろって親に言われなかったのかよ」って言ったら1回も言われたことないんだって。何で。職業が四つしかなかった。お父さんに言われたのは4歳のとき。「おまえ何になる。将来。次から選べ」

 

「タクシーの運転手、きこり、車屋、サッカー選手。どれ」

 

職業が4択。

 

お父さんにその4つから選ばなかったら死ぬぞって言われて、サムエルは「サッカー選手」って答えた。「じゃおまえ頑張れな」ってサムエルの人生は4歳からサッカー選手の道に向かったんです。

 

サムエルは4歳のときになりたい職業を決めて、5歳のときに駅前で靴磨きを始めるんです。サッカーボールを買うために。

買ったサッカーボールを裸足で蹴って練習して。それでまたずっと靴磨きをやり続けてシューズを買うんですね。

でもすぐに足が大きくなって履けなくなるからそれをブラザーに渡す。ずっと靴磨きを続けて靴を買い続けて。15歳のときにジュニアアフリカンカップの選手に選ばれたんです。カメルーンとかガーナとかアフリカ中から強いヤツらが集まってくる。サムエルはその代表になったんです。15歳ですごいことです。彼は本当に頑張ったんですよね。そして18歳だったか17歳かでW杯の選手に選ばれたんです。「俺年齢若いからなれない」って言ったら「大丈夫だ心配ない。なる気あるか」「なる」つていったら、知らない名前の20歳のパスポートをもらった。それでW杯に出たんです。

そこから10年間くらい、W杯の選手をやり続けて。

でも、イギリスの選手に蹴られてドクターストップ。サムエルはW杯選手のときに8世帯の親戚を養ってたんですね。8世帯。

8世帯みんながサムエルのお金をアテにしていて、みんなは働く気がない仕事もない。サムエルなんとかしてくれよみたいになったんですね。じゃあ日本に行って俺が稼ぐよって。

 

「日本は生まれただけでラッキー。日本人に生まれただけでラッキーだ」

「あらゆる職業につけてあらゆる教育が受けられる。のたれ死ぬことはまずない」

 

ある日突然、サムエルは強制送還になった。理由はわからない。俺は今の日本の子供達にサムエルの言葉を伝えようって思ったんです。

 

その頃ちょうど小中学校でパソコンの授業がスタートして、一般から講師の募集をしていたんです。それで非常勤講師に応募しました。

 

つづく