参ったぜそれ。と思って途方に暮れてた。 ミワちゃんは「もう駄目、これ。どうしようもない」つって一足先に森ん中に住んでた。 森ん中に引っ越しちゃってた。そのカフェにいられねえって。 仲間に率いれようと説得されて、俺の味方についたせいで、…
そんな風に、俺の村づくりがやっと形になって、取材が来るようになって、テレビでは鉄腕DASH村が始まって、いよいよ世の中が変わるぞって思ってました。 そこに3.11。俺は運命のままに村を離れることになって、北海道から九州まで、全国を…
話は戻るけど、栃木の村づくりが始まって4年後くらいから、雑誌とかテレビの取材が来るようになって、世間的にも自給自足の田舎暮らしが注目されるようになって来たんですね。 一回来た人達が家族とか友達を連れて来るようになって、山奥のコンビニもスーパ…
一人ダッシュ村をスタートして35歳のときに結婚しました。その子は俺が30歳のときにどん底で落ちて誰にも相手にされなかったときに、そんなことどうでもいいって仕事を手伝ってくれた人でした。 「才能とか人柄が良くてみんな一緒にいたんじゃないんだ」っ…
店舗デザインの仕事をしながらずっと土地を探してて、栃木県粟野の土地に決めました。それでまずその土地の手入れからはじめるんだけど、1200坪が草ボウボウで、草刈りしても切りがないんですね。それでまずヤギを飼ったんです。これがもうぜんぜん感謝しな…
日本の家づくりがおかしいってずっと思ってきて、型通りの家じゃないワクワクする家作りをはじめたけど、自然素材に対する偏見も強くて、広まるのに時間がかかると思いました。 だからもっと人目につく仕事で、もっとワクワクする形で、自然素材の家づくりを…
ちょっとさかのぼるんですけど、21世紀日本の構想の代表として、スウェーデンとドイツで建築の勉強をしたときに、しっくいの文化に触れたんです。何がすごいって、スウェーデンとかドイツの街並み写真採ったら、どこ撮っても絵はがきになること。どこを撮…
生きるために必要な物を全てそこで作りだして、大好きな人たちと笑顔で暮らせる村を作ろうと思って土地を探し始めたときに、ある人を紹介されたんです。 陰陽師でした。陰陽師ってなんだか映画みたいだけど本当にいるんだって思いました。 その陰陽師、俺の…
6回首つりしても死ねなくて、どんなにつらくても生きるしかないんだって思いました。それで俺が本当に幸せを感じることはなんだろうって考えました。俺はやっぱり誰かが喜んでくれることが大好きなんです。家の医者を始めたのも誰かに喜んでもらえたからだ…
それまでの仲良くしていたみんなに背を向けられて、そのとき完全に死のうと思って。首つりしたんです。 最初はヒモで。ヒモを太くしたりして。でも毎回切れちゃう。これは切れないだろうっていうヒモが切れちゃうんです。 最後はタオルでやったの。そうした…
6400万あった借金を残り1300万というところまで返済して、そこから一向に返せなくなったんです。 景気が本格的に冷えていた時代的な理由もあったと思うし、俺の経営が間違っていたのかもしれない。でも、どう頑張ってもだめだった。もう無理かもしれないと思…
「日本人に生まれただけでラッキーだ」 「あらゆる職業につけてあらゆる教育が受けられる。のたれ死ぬことはまずない」 「なのになんで日本人はなんでやりたいことをやらないんだ。もったいないよ。」 俺はサムエルの言葉をどうしても今の子供達に伝えたくて…
人生がつまんなくって死にたいって思いながらも、現場でお客さんに感謝されてたときのこと思い出して、大丈夫だなんとかなるって思って必死で電卓たたいてるとき、外国人労働者を雇用する話がきたんです。 日本人でさえ仕事ありませんっていう時代にサムエル…
総理と対談したあとのステージにはでっかい落とし穴が待ちうけていました。高田馬場のじいちゃんが言ってたこと。「ものすごいあんた苦労するよ。他の人の何十倍も苦労する。でもあんたは耐えられるからその苦労がやってくるんだ。そのたびに必ず助けが現れ…
ちょうどその頃、21世紀日本の構想っていうメンバーを小渕総理が集めるって言い出したんですね。それはつまり政治家が国を作るんじゃなくて国民が作るっていう趣旨でした。 それとは別に、その頃商工会が青年の主張というをやってたんですね。それはNHKの青…
俺が23歳で初めて起業したのが“家のお医者さん”でした。軽トラ一台とプレハブ小屋の事務所にワープロとコピー機が一台づつ。栃木県の茂木(もてぎ)っていう5000世帯しかない町でした。 そこでワープロでちらし作ってコピー機でだーっとコピーして頑張って50…
高田馬場のじいちゃんに出会って大学を退学した俺は、昼と夜、いろんな仕事をかけもちでやりました。もちろん飲食店もやったし、大手工場から豆腐屋までいろんな物作りの工場でも働きました。その中でも一風変わったバイトはテストドライバーでした。 テスト…
そのじいちゃんは、どっかで話し掛けてきて長い間話して「じゃぁ、私はここで」って、高田馬場で降りていきました。それで何だかその時素直に、その通り生きようと思ったんですね俺。そのとき大学2年で茨城大学に籍だけはおいていて。実は大学入って3日目で…
23歳の時に、軽トラック一台とプレハブ小屋からスタートした、俺の最初の起業が“家の医者”でした。 なぜその仕事を選んだかというと、19歳のときに電車で出会った、名前も知らないおじいさんとの出会いがあったからです。僕はそのおじいさんのことを“高田…
俺の肩書きは、“天然素材コンシェルジュ”。そして“空間デザイナー”です。 天然素材コンシェルジュとは、ドイツではよく知られている職業です。 自然素材を使って家を作る時に、どこにどのような自然素材を使うかを提案するのが主な仕事です。例えば、アレル…