山納銀之輔

自然界に寄り添って生きろ!全てを失くしても大丈夫!世界は大きい!

003 茨城大学を3日で休学 放浪モグリ受講 〜俺がお金を捨てたわけ

 

そのじいちゃんは、どっかで話し掛けてきて長い間話して「じゃぁ、私はここで」って、高田馬場で降りていきました。それで何だかその時素直に、その通り生きようと思ったんですね俺。そのとき大学2年で茨城大学に籍だけはおいていて。実は大学入って3日目で行かなくなって、自分のやりたいことを探していたんです。

 

俺は第2次ベビーブーム層の真っただ中で、競争社会の中でもまれて国立の大学入りました。入学3日目にこの大学は一体どんな所に就職するんだろうって一覧を見たんですね。事務局で。全然面白くなかった。なんだか。工学部だったから女の子も2人しかいないし。これはだめだ面白くねえわと思って。

 

学食もなんか刑務所みたいでしたしね。もうつまんなすぎてなんかこう、嫌な雰囲気ってあるじゃないですか。俺は霊感とかないんだけど嫌な雰囲気にはすごい敏感なんですよ。嫌な雰囲気でこんな所で生きてくのか大学って嫌だなと思って。事務局の就職先一覧にやりたい仕事が1個もなかった。よし分かった。と思いました。

 

 俺はそのときまで大学っていうのは中学を卒業してとか、高校卒業してすぐとか、やりたいこと始められる人って本当にごくわずかですよね。大学の4年間に自分のやりたい仕事を見つける時間だと思ってました。でも行った瞬間になんか嫌な感じでなんか違うって分かった。やりたいことを見つけるんじゃなくて、むしろその逆で、枝分かれが狭められて、一方向にしか就職できないようにするのが大学だってわかったんです。

 

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だから3日目に行かないって決めて、何したかっていうと他の大学モグリで行ってました。他の大学モグリで入って授業を受けて。出席は呼ばれないから。呼ばれないから返事しないから大丈夫で。転々と各地の大学の授業を受けながら、いろいろなアルバイトをしました。

 

例えば埼玉に行ってどこかの大学行ってバイトしながら暮らして、東京行ってどこかの大学行ってバイトしながら暮らして、福島行ってっていうのをずっとやってました。

興味ある授業を探して授業を受けまくったんです。

 

で、自分がやりたいことは、工学部じゃないってことは分かって、心理学がすごく楽しかった。

茨城大学を選んだのは、偏差値がちょうどいいからだったし、社会とか国語とかはもともと大の苦手。消去法で入ったのが工学部でした。

 

いい大学入っていい会社に入っていいサラリーマンになったら幸せよって習ってきたけど、やりたくもない仕事して何が幸せだって思ったんですね。

 

それで、全国回ってその結果。一応籍は残してた大学だったけど。それを19歳のときそのじいちゃんに出会ってやめる決意をしました。よし。やめようと。

 

つづく