山納銀之輔

自然界に寄り添って生きろ!全てを失くしても大丈夫!世界は大きい!

017 35歳で結婚。しかしその後、3.11で村を失い…離婚 〜俺がお金を捨てたわけ

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一人ダッシュ村をスタートして35歳のときに結婚しました。その子は俺が30歳のときにどん底で落ちて誰にも相手にされなかったときに、そんなことどうでもいいって仕事を手伝ってくれた人でした。

「才能とか人柄が良くてみんな一緒にいたんじゃないんだ」って言って俺の味方になってくれた唯一の人でした。

 

それで一緒に村に住むことになって、それが村人1号。

 

村人1号2号は女性でした。その頃、東京の新宿OZONEビルで講師の仕事が来てたんですね。『自然塗装空間』という土壁やしっくいを売ってるスイスの会社の講師を頼まれて、土壁やしっくいの塗り方や特徴を教えていました。

 

そこの受付のきれいなお姉さんが「会社辞めて山納さんの所に住んでいいですか」って。彼女はアトピーで悩んでいて、週末うちに手伝いにくるうちに、うちにいる間はアトピーが治まってることに気づいたんですね。それでそのきれいなお姉さんが引っ越してくることになりました。「よし分かった。彼女のためにみんなでログハウスを作ろう」ってことになって、ログハウス作りのワークショップをやったんです。そのときに香川と岐阜から弟子がきて村人2号3号になりました。

 

ワークショップをやるようになってから人手は全然困らなくなりましたね。いろんな人が来て手伝ってくれるようになったから。

 

そしたら東北大震災。

 

ここで地震。ここで。やっとここまできたのに。

 

40歳でまたどん底です。

 

半年は、そのまま村づくりを続けたんです。でも、半年位して俗にいわれる被爆症状みたいなのが出始めたんです。血便、鼻血、目の奥の痛み、喉の痛み、だるさ、関節の痛み。

 

こんな良い場所ないと思って村づくりしてきて、やっとここまできた。もうこのままここでやっていきたいっていう気持ちがあった。たとえ寿命が縮んだとしても俺の選んだ土地で、すげえいい景色でこのままいけたら幸せだって思ってたんです。でも、身体の痛みが出始めてそれがものすごい痛みだった。毎日ふらふらして、調べてもらったら除染区域ですって。それで大家さんが土地を手放したいってなって。

 

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俺はそのころ仕事で入ったお金は全部村づくりにつぎ込んでたから一文無しだった。近所でさんざんみんなが引っ越し先を探してくれたけどどうもうまくいかなくて、どうしようかってときに、麻仕事を手伝いにきていていた人がこう言ったんです。

「山納さんのやってることを日本中に広める気はないですか。みんなに教えたらどうですか」って。彼女は結構有名なボイストレーナーで全国回ってたんですね。あちこち。それで「山納さんの講演会を、あちこちで開くからそれで自分のいい土地探したらどうですか」「分かった。そうすっぺ」って。北海道とかいろんな所で講演会をやりました。

 

311をきっかけに田舎暮らしを始めた人たちの村づくりを手伝ったり、俺が体験してきたことを教えたりしながら全国をまわりました。

 

やっと見つかった村づくりの場所が、九州でした。それで栃木に残してきた嫁さんに言いに行ったんだけど「私は栃木離れたくない。親がいるし。親の面倒みるから」って言われちゃった。

 

でも俺はもう栃木に行ったら目まいするし目が見えなくなるし、腫れちゃって喉痛くてどうしようもない状態なっちゃうんですね。

 

それに、栃木の村はもう買い手がついていて、新しい人が住んでました。福島の避難区域から来たご夫婦でした。

 

俺はもう戻れない。俺は新しい村づくりをもう1回やる。それで離婚です。

 

つづく

 

 

 

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