山納銀之輔

自然界に寄り添って生きろ!全てを失くしても大丈夫!世界は大きい!

018 田舎の小さな村づくりが社会に影響を及ぼした 〜俺がお金を捨てたわけ

話は戻るけど、栃木の村づくりが始まって4年後くらいから、雑誌とかテレビの取材が来るようになって、世間的にも自給自足の田舎暮らしが注目されるようになって来たんですね。

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一回来た人達が家族とか友達を連れて来るようになって、山奥のコンビニもスーパーもないところに毎週のように東京から人が遊びに来るようになったんです。

 

村が盛り上がって来ました。近所の自治会の草刈とかゴミ拾いもみんなで参加して、じいちゃんばあちゃんは大喜びして、お茶を飲みに来たり、野菜を持って来たりして、田舎暮らしの知恵を教えてくれました。遊びにきた人も喜んでくれて、地元の人も喜んでくれて、でもヤギが迷惑かけるからチャラになるという毎日でした。

 

ちょうどその頃、新宿OZONEビルで、天然素材で素敵な家の作り方を教える講義をしたんです。そのご縁から村に遊びに来る人たちの幅が広がったんです。

 

化学物質過敏症などアレルギーの人達やマクロビオティックの先生、ヨガの先生、ローフードの先生、農業の先生、農学博士、いろんな人が泊まりに来るようになりました。

 

それまで俺は、衣食住の《住》で豊かな暮らしを提案する事が自分の生き様だと思っていたのが、だんだん変わって来たんです。

 

《衣》も《食》も、どれも一つ欠けたら、本当の豊かな暮らしは難しいんです。

 

《食》は自然農法とオシャレな里山料理を極めることにしました。《衣》は麻。たまたま栃木の粟野は麻の産地だったし、自然素材の建築を研究していて、昔の土壁をほじくると必ず麻がでてくる。子供の頃大好きだった『コンチキ号漂流記』でも成功の鍵は麻のロープでした。だから《衣》は麻で極めようと思いました。

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そして、栃木農業高校の授業で麻製品を作ったり、おおあさ自由学校で麻ひきをしたり、観光バスで人が来るようになりました。その栃木農業高校では、経済産業省の「低炭素杯」という研究発表で優勝して、その後も麻をテーマに5年連続優勝しています。

 

栃木の田舎の小さな村づくりが、地域や自然の力を借りて、少しずつ社会に影響を及ぼしてる実感がありました。

 

つづく

 

 

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