2016-01-01から1年間の記事一覧
生きるために必要な物を全てそこで作りだして、大好きな人たちと笑顔で暮らせる村を作ろうと思って土地を探し始めたときに、ある人を紹介されたんです。 陰陽師でした。陰陽師ってなんだか映画みたいだけど本当にいるんだって思いました。 その陰陽師、俺の…
6回首つりしても死ねなくて、どんなにつらくても生きるしかないんだって思いました。それで俺が本当に幸せを感じることはなんだろうって考えました。俺はやっぱり誰かが喜んでくれることが大好きなんです。家の医者を始めたのも誰かに喜んでもらえたからだ…
それまでの仲良くしていたみんなに背を向けられて、そのとき完全に死のうと思って。首つりしたんです。 最初はヒモで。ヒモを太くしたりして。でも毎回切れちゃう。これは切れないだろうっていうヒモが切れちゃうんです。 最後はタオルでやったの。そうした…
6400万あった借金を残り1300万というところまで返済して、そこから一向に返せなくなったんです。 景気が本格的に冷えていた時代的な理由もあったと思うし、俺の経営が間違っていたのかもしれない。でも、どう頑張ってもだめだった。もう無理かもしれないと思…
「日本人に生まれただけでラッキーだ」 「あらゆる職業につけてあらゆる教育が受けられる。のたれ死ぬことはまずない」 「なのになんで日本人はなんでやりたいことをやらないんだ。もったいないよ。」 俺はサムエルの言葉をどうしても今の子供達に伝えたくて…
人生がつまんなくって死にたいって思いながらも、現場でお客さんに感謝されてたときのこと思い出して、大丈夫だなんとかなるって思って必死で電卓たたいてるとき、外国人労働者を雇用する話がきたんです。 日本人でさえ仕事ありませんっていう時代にサムエル…
総理と対談したあとのステージにはでっかい落とし穴が待ちうけていました。高田馬場のじいちゃんが言ってたこと。「ものすごいあんた苦労するよ。他の人の何十倍も苦労する。でもあんたは耐えられるからその苦労がやってくるんだ。そのたびに必ず助けが現れ…
ちょうどその頃、21世紀日本の構想っていうメンバーを小渕総理が集めるって言い出したんですね。それはつまり政治家が国を作るんじゃなくて国民が作るっていう趣旨でした。 それとは別に、その頃商工会が青年の主張というをやってたんですね。それはNHKの青…
俺が23歳で初めて起業したのが“家のお医者さん”でした。軽トラ一台とプレハブ小屋の事務所にワープロとコピー機が一台づつ。栃木県の茂木(もてぎ)っていう5000世帯しかない町でした。 そこでワープロでちらし作ってコピー機でだーっとコピーして頑張って50…
高田馬場のじいちゃんに出会って大学を退学した俺は、昼と夜、いろんな仕事をかけもちでやりました。もちろん飲食店もやったし、大手工場から豆腐屋までいろんな物作りの工場でも働きました。その中でも一風変わったバイトはテストドライバーでした。 テスト…
そのじいちゃんは、どっかで話し掛けてきて長い間話して「じゃぁ、私はここで」って、高田馬場で降りていきました。それで何だかその時素直に、その通り生きようと思ったんですね俺。そのとき大学2年で茨城大学に籍だけはおいていて。実は大学入って3日目で…
23歳の時に、軽トラック一台とプレハブ小屋からスタートした、俺の最初の起業が“家の医者”でした。 なぜその仕事を選んだかというと、19歳のときに電車で出会った、名前も知らないおじいさんとの出会いがあったからです。僕はそのおじいさんのことを“高田…
俺の肩書きは、“天然素材コンシェルジュ”。そして“空間デザイナー”です。 天然素材コンシェルジュとは、ドイツではよく知られている職業です。 自然素材を使って家を作る時に、どこにどのような自然素材を使うかを提案するのが主な仕事です。例えば、アレル…